後醍醐天皇の孫が自分ちの近所に昔住んでいたって、凄いと思うのは自分だけ? 

親王伝説 前回に続き後醍醐天皇の孫、尹良親王に関する言い伝えをご紹介します。

殿塚・姫塚・御所平の伝説

落ち延びる尹良親王と供奉(ぐぶ‥行幸などの行列に供をすること)の武士が高山(中津川)の関屋あたりで、供奉の者十三人が討死、同行の妃を大円坊に隠し、坂下まで逃げたが追い詰められ自害。また、妃は見つけられ死亡。従者の一人が親王の首を持って高山まで戻るが妃の最後を聞いて。この地に宮の首と妃を葬った。尹良親王の子良王は逃れた従士たちに守られ、若山の姥のふところで隠れて育った。親王と妃の菩提は法泉寺、比丘尼寺を建てて弔ったといいます。 殿塚には五輪塔と宝篋印塔(ほうきょういんとう)が姫塚には宝篋印塔があります。姥のふところは若山地区の南向きの洞にあり、また、木曽川の大砂の渡しを越えた高山側に大平という所があり戦いに負れた尹良親王が逃げ、陣をしいた所からその場所を御所平という。十三人の従士が討死した場所は十三塚という。昭和の初め御所平の屋敷跡と思われる所を掘ったら人骨のはいった大甕が見つかったといいます。 こんな事聞くと本当かなと思いますが、実際はわかりません。親王伝説ですから 自分ちの近所に昔、宮様が住んでいたかもなんて、とってもロマンを感じます。

 

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